Exhibition : VOCA 2011 |
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市川武史は、 2007 年秋に北緯 67 度 51 分に位置するスウェーデンのキルナにおもむいた。 プラスティックフィルムとヘリウムガス等を用いた浮遊するエフェメラルな彫刻を追求してきた市川は、次のステップとして「光の絵画」を構想し、オーロラという未見の光を目標に定めたのである。 オーロラ体験は、市川にとって圧倒的なものであったらしい。それは、光との遭遇であるとともに、「大きすぎる何か」との遭遇であった。 概念的な枠組みや意味に回収され得ない、いわば「感覚の地層」といったものを、造形作品として出現させることを本質的な命題として取り組んできた市川にとって、この出会いは 必然ではなかっただろうか。 2年を経て、愛知トリエンナーレにおいて発表された絵画的インスタレーション作品は、その現実的な成果である。 今回、 VOCA 展のために描かれた作品は、むしろはっきりと絵画を前提としている。 それは、光の絵画の歴史と現在性との交点として構想されているのだが、このような多元的なアプローチは、「浮遊」の作品系列においても見られたものであった。 ディプティックは、左がオーロラ、右が LED の光を表現しようと試みた画面である。 浮遊する形象は、フィリッポ・リッピの聖母子がまとうヴェールに対して、マザッチョの楽園追放のアダムとイブが配されており、自然−人工、天上−地上、神−人間、等の対立軸が設定されている。 それぞれの木枠をくるむように、つまり前後二重に張られたカンヴァスは、さらにその両面が描かれているという。つまり、壁に掛けられた画面は、現実の四分の一しか見ることができないのである。 こうして市川が提示した、補足し得ない絵画的構造体は、どのような「感覚の地層」を現出させてくれているだろうか。 南 雄介 (国立新美術館学芸課長) |
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In the autumn of 2007, Takefumi Ichikawa traveled to Kiruna, Sweden, He had been making ephemeral sculpture that floated in the air using plastic film and helium gas The aurora experience was clearly overwhelming to him. Ichikawa had been wrestling with the essential issue of how to make something that could be considered The work painted for this VOCA exhibition is crearly premised on the practic of painting. This multi-faceted approach was also seen in Ichikawa's series of floating works. In the diptych shown here, Canvas is stretched on both sides of the stretcher bars, and both sides of each canvas are painted.
Yusuke Minami Curator, National Art Center, Tokyo
Translated by Stanley N. Anderson |