吉田暁子+市川武史           
東京画廊 6月4日ー6月23日

表層的・ものの実体だけを直接的に見せる美術は、観る側の視点を求心的にする。それは世界の複雑性をもはや解きほぐせないたろう。高さや深さをもって遠心的に〃開かれる〃関係性を問わないと、逆に飲み込まれそうだ。そんななかで本展は、作品から能動的に見ることを誘発するコミユニケーションがあった。
 吉田暁子は、壁のしみをも絵画にするなど日常性から観る者を導入し、なおかつ日常を超越したあいまいな領域を明確に成立させようと志す。
 市川武史は、透明な浮遊する彫刻などを試みている。歴史を継ぎ、日本の土壌や現状、絵画や彫刻への否定をも包み込む作品をもって、その先の地平を開こうとする同士的関係のふたり。今展は、李禹煥+彦坂尚嘉企画「bit展」シリーズの第一弾だ
 会場中央には、市川の《音楽/彫刻》という作品。小さなふたつのスピーカーから同じ曲がズレて流れる。ズレによる曲自体の振動を、スピーカー上の水滴の揺れで見せる。
2000年前のギリシャで石板に彫られた〃楽譜〃を引き継いで作曲し、彫刻の永遠性・時間性に対する問いを包含して発展させたという。 〃時〃が音に言語化され、空間に拡散していく。
 また、線香を用いたふたつの彫刻は、台座の問題をズラシと想像による補えによって扱った。線香という実体をすりへらしながらかたちを生み出し、空間に拡張し運動する煙。
 さらに、吉田の作品は、探させながら空間や壁の奥、外側へと誘う。壁のはこりか幻影のように、天井の角や床の隅に張り付いた和紙。また、白い壁に貼った和紙を毎日、下方からはがす。あったものが消えゆき、山彼のように現われる際が、実在と不在のあいたを立ち上らせる。 目々うつろう様熊が、残像を散らばせ、眼を、空間を開く。
 視線はさらに人と作品を含む〃場〃 を俯瞰する。吉田のいう〃見ること 感じること〃のインターンは、経験則や内にある邪念と交じらせては得られない。この″気 ″を身にま
とって外へ出ることにした。



Yuri Shirasaka  白坂ゆり

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