双子組曲に就いて

 世界は謎に充ちている。そしてその謎と最も親交か深いのは芸術であろうと思う。
 双子を見ていると不思議な気持ちになる。そしてデュシャンの制作メモの一節を思い起
こす。それは『音楽/彫刻」と題され、「二つの似た事物、二つの色彩、二つのレーズ、
二つの形態といったものを識別する可能性を失うこと。」とある。メロディは、二つの似
た事物の識別を、聴覚か行う事で成立する。音楽のメロディを解体したのは、ケージに先
駆けて偶然性を作曲に取り入れたデュシャンであった。
双子は、その存在が『音楽彫刻」であり、世界の謎を体現している。では、そのままで芸
術かと間われれぱ、そうではない。芸術は、入間の行う、最も洗練された人為的な行為で
あり、大いなる摂理と共にある。双子の存在の不思議は、大いなる摂理の謎だが、存在で
しかない。
 芸術として成立させる為の方法として、私はもう一つの謎を組合わせる事にした。言葉
の謎である。言葉の由来を厳密に突き詰めて行く事は、玉葱の皮を剥く様なもので、最終
的には霧散してしまう。なぜなら言葉は、恣意的に付けられたに過ぎないからだ。にも関
わらず、意味を獲得し、通じ合う。更に、最初から読んでも最後から読んでも全く意味の
変わらない言葉まで存在する。これは何の悪戯であろうか。
存在の謎と悪戯な謎、これら謎の双子をリミックスしたものが、双子組曲である。
(因みに双子・組曲ではなく、双子組・曲。)
                                                   市川武史